【特集】 惜別 EF62 #26 エピローグ
そしてやってきた9月30日、ヨコ-カル最終日。
すでに前日から新しい実験を開始していたのでクタクタになりながらもどうにか21時過ぎには下宿に帰った。
過熱ぎみの横川駅の様子を家のテレビで見ながら、実験の工程と休めそうな日をブッキング、、、ダメだやっぱり2週間、最低でも10日は遠出できない。
資料作成を理由に実験を先延ばしにしてどうにか最後の土日を空けたので、もう無理。
さすがに周りの研究の足を引っ張るようなことをするわけにはいかなかった。
一夜明けて、終着駅となった横川に残るEF63が20両。
これを4両ずつ5回の搬出で一旦横川の機関区跡を空にする予定と聞いていた。
その全てにロクニが駆り出され、歩みを止めた僚友たちを棲家から連れ出すという悲しい運用が待っていた。
どうにか一度だけでも撮りたい・・・土曜日に当たった10月4日、横川から高崎へ入って折り返すところにピンポイントで新幹線トンボ帰りを目論むも、実験を抜けられず涙を呑んだ。
***********************************************************************************************
ここにEF63搬出時のEF62の記録が残る。。。
1997.10.2 高崎-単9151-横川-配9152-高崎
高崎← EF62 43+EF63 19+3+11+12
1997.10.2 尾久-試6991-高崎
高崎← EF65 1024+EF62 46(無動)+マニ50
1997.10.3 高崎-単9151-横川-配9152-高崎-配9753-新前橋-単9754-高崎
横川← EF62 43+46 (横川 構内入換は43号機)
高崎← EF62 43+EF63 8+16+6+7+EF62 46 →新前橋
高崎← EF62 43+46
1997.10.4 高崎-単9151-横川-配9152-高崎-配9753-新前橋-単9754-高崎
横川← EF62 54+46 (横川 構内入換は54号機)
高崎← EF62 54+EF63 4+17+10+15+EF62 46 →新前橋
高崎← EF62 54+46
1997.10.8 高崎-単9151-横川-配9152-高崎-配9753-新前橋-配9754-高崎
横川← EF62 43+46 (横川 構内入換は43号機)
高崎← EF62 43+EF63 21+13+23+20+EF62 46 →新前橋
高崎← EF62 43+EF63 21+EF62 46
1997.10.9 高崎-単9151-横川-配9152-高崎
高崎← EF62 43+EF63 18+22+25+24
以上の動きで全てのロクサンが高崎(9両)、新前橋(11両)へと疎開留置され、廃車・保存それぞれの処遇を待つこととなる。
そしてどうにか一連の実験を終えて10月10日からのロクイチ3連戦を無事に乗り切ると、翌週はロクニのさよなら運転だった。
***********************************************************************************************
1997.10.18 上越線 後閑-上牧
EOS630 + 28-70mmF2.8 1/750 f.6.7 G-400
旧客6両を従えて秋の上越線を駆ける46+43号機牽引の「さよならEF62号」。
後閑の停車でマークが外され、往年の信越鈍行のような渋い姿を披露している。
本当に最初で最後のロクニ重連上越入線となった。
なんで峠があるうちにやらなかったのか、、、そんな恨み節も聞こえたが、こうしてさよならの舞台を作ってもらえただけ有難いじゃないか。
***********************************************************************************************
1997.10.18 上越線 水上
NikonF + 50mmF2 RIALA100
折り返しの水上では旧機関区に入区し、顔を並べて撮影会が行われている。
いろいろなマークを付け替え、最後にはカマの前で記念撮影。
入換前のマーク無し並びにも熱い視線が注がれていた。
あと何度、本線を走る彼女たちを見られるのだろう。
***********************************************************************************************
1997.10.19 信越線 群馬八幡-安中
EOS630 + 28-70mmF2.8 1/750 f.5.6 G-400
そして翌日は43号機が「ゆとり」プッシュプルの高崎方に付いた。
機回しの出来ない終着駅となってしまった横川へ入線する客車列車はすべてプッシュプルの形態をとることになり、出番が回ってきた。
これで通いなれた信越線も最後になるのだろうか。。。
翌20日には46号機が高崎-上野-尾久で12系12両の回9728レを牽引し田端に戻っている。
***********************************************************************************************
1997.11.9 高崎線 深谷
NikonF + 50mmF2 BULB f.5.6 IMP50
12系6両の「EL&SL奥利根号」の先頭に立って赤レンガ駅舎の深谷に停車中の43号機。
この列車が上野に到着するとEF62の営業列車牽引の歴史もページを閉じる。
初めて出会った東海道のロクニから13年半、峠の終焉とともに役目を終え、約40日のロスタイムを過ごした。
54号機の最後の走りを見ることが出来なかったのが残念だが、どうかゆっくりと休んでほしい。
そしてまたいつか、復活して元気に走り出してくれることを願って。。。
***********************************************************************************************
時は流れ翌’98年8月3日、休車として田端運転所の片隅で眠っていた43号機、46号機がそろって廃車となり、ついに大宮へと送られることになったのだ。
そして8月22日、PF1030号機に牽かれて大宮に運び込まれた。
残された54号機はまだ処分保留のまま眠り続けている。
1998.8.28 東北本線 大宮
EOS5 + 70-200mmF2.8 G-400
もう自力では戻ることのできないところまで来てしまった2台のロクニ。。。
廃車になったとはいえ、1台くらい大宮で保管してくれるんじゃない?
淡い期待を持ちつつ、この日は帰途に就いた、、、また会おう。
***********************************************************************************************
1998.8.31 大宮工場解体線
EOS5 + 28-70mmF2.8 G-400
また会おうと別れてから3日、解体線では目を疑うような光景が・・・。
どうしてこんなにすぐに壊してしまうんですか?
1台くらい保管に回すことは出来なかったんですか?
別れはこんなにあっけなくやってくるものなんですか?
なんか悔しくて、悲しくて、カメラを持つ手が震えていた。
見たくない。。。でも、現実を受け止めるためにシャッターを押した。
***********************************************************************************************
1998.8.31 大宮工場解体線
EOS5 + 70-200mmF2.8 G-400
涙雨に濡れながらどうにか撮った最期のショット。
まだ綺麗な顔をしている。
さようなら、43号機、46号機。
これで本当のお別れだ。
EF58をはじめ多くの仲間が散って行ったこの場所で、2台は最期までつないだ手を離すことはなかった。
惜別EF62
~ 完 ~
***********************************************************************************************
318/365
| 固定リンク
| コメント (9)
| トラックバック (0)