【関東大震災】 名もなきカメラマンの記録から #5
筆休めに模型を挟んで、名もなきカメラマンの記録の5回目です。
平塚の翌日は国府津から小田原、熱海線方面へとかなりの距離を移動したようです。
ここでも鉄道が関係するネガからいくつかご紹介してみましょう。
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大正12年9月18日 国府津
国府津駅西方から熱海線の小田原方面を見たところです。
光線の状態から、午前中早い時間の撮影のようですね。
波打った複線の線路と中央には倒れた場内信号機が見えますが、この時はまだ単線使用だったようです。
まっすぐだった築堤は大きく崩れ原型を留めていません。
熱海線の築堤は全体に竣工から年月浅く、各地で大崩壊の被害が出たそうです。
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大正12年9月18日 国府津
橋台が崩壊して橋げたが落ちた江戸尻川橋梁の様子です。
築堤も大きく崩れ、橋げた上の枕木から外れたレールが宙を跨いでいるのが判ります。
再掲載ですが、鉄道の被災状況は「鉄道震害調査書 大正12年」に詳細があります。
国立国会図書館 近代デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/
「鉄道震害調査書 大正12年」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175815
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大正12年9月18日 鴨宮
ネガに場所と日付の記載が無いですが、続いて現れるのが酒匂川橋梁なので、その手前の
鴨宮駅と判断した次第です。
拡大しても鴨宮駅の確証となるものは何もありませんが、前方の山並みと前方線路が左に
カーブして行く線形から間違いないものと思います。
鴨宮駅舎倒壊、跨線橋被害軽微という「鉄道震害調査書」の記述にも一致します。
6月1日に酒匂川信号所から駅になったばかりでした。
ここで注目したいのが構内の様子で、なんとすでに上下線とも架線が張られています。
電化時には一方向に架線の吊架を進めるのではなく、あちこちの駅から工事を始めて全体を
繋げるという方法をとると早いのは判りますが、横浜-国府津間の電化完成が大正14年12月13日、
熱海線の小田原までの電化が大正15年2月1日で、まだ盲腸線だった熱海線の小駅がこの時
すでに電化準備完了していたとは驚きです。
ちなみにこの当時の辻堂駅は下り線だけ架線が張られていたようです。
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