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2014年9月12日 (金)

【関東大震災】 名もなきカメラマンの記録から #10 

名もなきカメラマンの記録、最後2回にわたり街の様子をいくつかご紹介してみたいと思います

これまでご紹介した鉄道関連の写真はどれも「現在の姿を知ってる場所」の惨状でしたが、
場所の記載があってもさすがに当時の街並みだけではどこだかすぐに判らないものもあります。
私なりに判る範囲の解説をしてみますので、もし詳しい場所が判る方がいらっしゃったら、
是非ご教授ください。

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S9

大正12年9月12日 星の井

第1回目の江ノ電沿線のネガの他にもう1セット9月12日の日付で鎌倉のものがあります。
その中で街の様子を割りあい広く写したものがこの「星の井」です。

これはもうズバリで鎌倉坂ノ下、星の井近辺ですが、道が左にカーブしながら坂を登っていくところ、
正面の山の中腹に潰れた建物、太陽が画面左から照らしていることなどから、
御霊神社入り口の力餅屋の前あたりから極楽寺坂方向を見たものだと思われます。

道の先を拡大すると・・・

S91

道が左に折れるあたりではお母さんがたらいで何か洗っているようです。
その先、潰れた建物の手前の坂を二人降りてきていますね。
この潰れた建物は当時の虚空蔵堂だと思われます。

戻って左手の郵便ポストあたりを拡大すると・・・

S92

ポストの左に何やら看板らしきものの一部分が見えますが、残念ながら判読できません。

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Simg3862

大正12年9月

続いては9月17日の一連の平塚のネガの前コマです。
最初ネガが繋がった時はこれも平塚で駅の北東、当時の国道1号線(現在の旧道)の馬入川手前かと
思っていたのですが、よく見ると道の上には路面電車の架空電線のようなものが張られている
ではありませんか。。。平塚に路面電車はありません。

中央あたりを拡大してみると・・・。

Simg38621

道路のはるか向こうには三角屋根の大きな建物、道を行くトラックは警察か軍のものでしょうか。
やはり路面電車の架線が張られていますね。
そして、手前の右手に棒のようなものを持った人が着ている半纏の背中にあるのは当時の
東京市のマークのようにも見えます・・・。

これで一気に平塚という選択肢は消えてしまったような気が。。。
いったいこれはどこでしょうか、平塚に来る前に撮った東京?横浜?
皆目見当も付きません。

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Simg38531

大正12年9月19日 小田原

根府川・真鶴を回った帰りに通った小田原の街の様子です。
場所の特定は難しいかと思われましたが、画面上にヒントが散らばっていて、思いがけず判明しました。

画面奥で道路を跨ぐガーダー橋、右下に見えるレールのようなもの、そして最大のヒントは
ガードの上に見える樹木でした。

この当時、小田原界隈で築堤上を走り、ガードで道を跨ぐのは熱海線しかありません。
そして道路に埋もれるようにして敷かれた軌条、左の電柱には架線吊りのビームが出ているのも
見えますので、電化されている市内(当時は町だったから町内?)電車の線路でしょう。
最終的に場所の特定を確実なものにしたのがガードの上に見える樹木、光圓寺の大イチョウでした。
よってここは小田原電気鉄道の早川口(軽便鉄道前)電停付近で間違いありません。

熱海線開通までは写真の左後ろにある路地を入ったところに熱海鉄道(熱海軌道組合)の
小田原駅があって、このあたりは乗り換え客で相当賑わっていたようです。
そして現在でも国道1号線を跨ぐ東海道線のガードの向こうに大きなイチョウの木が見えます。

Simage911

~グーグルマップ ストリートビューより~
こんなことにグーグルマップが役立つとは思いませんでした。
まさにこの場所であります。

そして当時の写真で個人的に一番気になったのが道路右の店舗・・・

Simg38532

道の右側を拡大するといくつもの看板が見えます。

右書きの「親切☆第一 クスリはホシ」、浅田飴に救命丸、アルボースとくれば間違いなく薬屋ですね。

小田原というとこの写真の後方500mほどのところに、今でも「ういろう」と「小西本店」という
老舗の超有名な薬屋がありますが、こんな大衆的な薬屋さんも近くで頑張っていたと思うと、
同じ業界の人間として熱いものがこみ上げます。
救命丸の看板に隠れて屋号が判読できないのが残念です。
最後の一文字は見えるのですが解読出来ません。。。
「変体かな」にしては整い過ぎている感じもしますね。
店舗の被害も少なそうなので、震災時も街の人々の健康と衛生に一役買ったものと思います。

手前には「和洋建築用・・・」という看板が見えていますが、どうやら1階が潰れて2階がそのまま
上に載っているようですね。ご家族は無事だったのでしょうか。
こちらも残念ながら屋号の判読は出来ません。

諦めて記事をアップした後、もう一度調査したところお名前が判明しました!
薬屋さんは剣持さん、建材屋さんが武井さん。。。
が、慌ててアップしたので間違っていたようです・・・。
ガードから22軒目の薬屋剣持さん、隣のノコギリ屋武井さん、ちょっと位置的に遠すぎる。

あ、もっとガード寄りにもう一軒薬屋さんがあるじゃないですか!
ということで、仕切り直し。
調査の元になった図を載せられないのがもどかしいところです。
この薬屋さんはガードから9軒目の 小島さん というお宅のようです。

見つけた大正8年の市街図では薬屋さんの隣がせんべい屋石井さんと手荷物取扱所になっていて、
その隣が大工の牧岡さん。4年でせんべい屋さんが建材屋さんになるかなぁ。
いや、前年の熱海線の開通でここ早川口を始終着としていた軽便が無くなったわけだから、
乗り換え客目当てのお土産屋とか手荷物扱所なんかは商売を変えた可能性もあるよなぁ。

でもまぁ、この薬屋さんは位置的にも「小島さん」で間違いないでしょう!
・・・だから何だ、と言われてしまえばそれまでですが、自分の中ではすごく嬉しいんです。
なんだかちょっとだけこの写真の世界に近づけた気がするんです。

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