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2014年4月21日 (月)

【あの一枚】 #081 つわもの共が夢のあと 疎開留置車 ’87

自分のテツ人生のもう一つの原点となる板谷峠と旧型客車。
初めて峠を訪れたのは旧客最末期の1984年10月でした。
親父が自分と弟を連れて山形までの夜行日帰り旅行です。

その帰りに山形から乗った新庄発福島行き428列車のイメージが今でも忘れられないのです。
米沢までが秋カタ[秋12]4両+仙フク[仙31]4両の8両編成、米沢で秋12を切り離して身軽な4両で
スイッチバックを行く列車でした。

そんな旧客列車も翌年3月改正で50系に置き換えられ消滅、大きな駅の片隅や小駅の側線に
疎開留置されてしまいました。
1987年夏の鉄研合宿が東北一週だったため、それらを見られるように行程を考え、プレゼンした
覚えがあります。

今では新幹線が走る標準軌の線路になってしまい、面影もないのでしょう。。。

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Scn0036_hr200_28

1987.7.30 奥羽本線 天童
AE-1P + 75-200mmF4.5 HR200

天童駅に疎開留置されていた山形区の旧客を50系普通列車の窓から撮る。
手前からオハ47 2199+オハフ33 2481。
ここの留置車は改正直後の1985年3月15日、回9429レで山形からやってきた4両だった。
すでに2年半が過ぎ、塗装も褪せてきてしまっている。

あの日乗った428レ[秋12]の4両かもしれないと思うと、今でも胸が熱くなる。
あの時の乗車メモはどこへ行ってしまっただろう。
車掌さんに頼んで、無線で駅に購入準備をお願いしたスイッチバック駅の硬券入場券と一緒に
しまってあるのだろうか。。。

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Scn0036_hr200_29

1987.7.30 奥羽本線 天童
AE-1P + 75-200mmF4.5 HR200

4両で来たのに、なぜか2両ずつに分割して留置されている。
手前からスハフ42 2161+オハ47 2031。
降りてじっくり撮っている時間は無く、こんな写真しか残せなかったのが悔しい。
この後も神町の側線で長い編成の疎開留置車を撮っている。

その後、大石田に着く頃には大雨となり途中船形で抑止、バス代行に切り替えられてやっと
新庄に着き、帰京のための上り津軽を待った。
→これは翌日のこと。この日は仙台から山形に出て、新庄、小牛田と回って仙台に戻っている。

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