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2013年4月 3日 (水)

【模型】インド大統領関西視察列車 #0-3 資料 (マイフ97 1)

マイフ97 1の考察 その2

屋根上の変遷をまとめたいところだが、いかんせん資料が無さすぎる。
オハフ3349までは形式図通りだが、スヤ511からは形式図が全く役に立たないのだ。
RMライブラリーNo.95「特別職用車」(以下RML95と略)にもベンチレーターについて言及した部分があるが、
資料調査の結果これも間違いを含むことが判った。

RML95の10頁当該部分には”(1960(昭和35)年には)、1号御料車に使用される八木アンテナの
試験取り付けが行なわれ、この時通風器の移設が行なわれている”とあるが、移設自体はこれより前に
行なわれており、ここでは「撤去」とするのが適当と考える。

この根拠となるのが「サイドビューJNR PC 1(レイルロード)」の9頁にある公式側の真横写真である。
1959年4月29日の撮影で、後位から2個目と石炭レンジ煙突上部が入れ替わった位置に移設されている。
この後、件の試験により八木アンテナの台座になる最後位と最前位、並びに中央から四隅に向けて
張られたケーブルアンテナの邪魔になる中ほど2個で計4個のベンチレーターが撤去されたようだ。
試験終了後は最前位展望室上と前位から4個目が復旧され、6個+煙突1個に落ち着いたようだ。

なお、スヤ511改造当初からのラジオアンテナは八木アンテナ試験の際に撤去され、後の復旧はない。

では移設はいつされたのかという疑問が残るが、課題となる視察列車の時にはまだ移設されて
いないことを「国鉄鋼製客車 I(キャンブックス)」の21頁にある、わずかにマイフ97の後位部分が
見える写真で確認した。
このことから、移設は1958(昭和33)年秋以降、翌春までの間に行われていたということになる。

眼を床下に移すと、まず気になるのが台車だろう。
新製からのTR23はスヤ511への改造時にスハ4250のTR40と振り替えられ、特別職用車としての
改造竣工からTR40を履いている。これによりスハ4250はTR23を履いてオハ351308となった。
その後、新三菱重工の試作MD台車に変わるのだが、資料となる書籍はみな台車形式MD-1と
なっており、その他の形式を示唆するものは無い。
しかし、MD-1はサハ78-199が履いていた形式であり、軸バネが軸上ではなく外寄りにずれている。
僅かに残されたマイフ97の写真を見ると当該台車は軸バネが軸の真上にある。
これはMD-3~5の特徴であり、マイフ97が電車ではなく客車であることを考えると、唯一客車で
使用されたMD-4ではないのかという疑問が湧いてきた。

そして、このMD台車はマイネ4016が履いていたもので、1949(昭和24)年に大宮工機部での
冷房装置取り外し工事の際に火災事故に遭い、翌年復旧されたときに装着されて出場した。
どのタイミングでマイフ97との相互振り替えが行われたのかは定かではないが、1958(昭和33)年4月に
行われたマイフ97のシャワー・更衣室改造工事と同時に次のTR57への振り替えが行われており、
その後再びマイネ40 16がMD台車を履いた写真がある。

マイネ4016が履いた台車がMD-1なのかMD-4なのかを含めて、もう少し検証する必要がありそうだ。

つづく

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