1985年

2016年1月 2日 (土)

【あの一枚】 #347 サイエンストレイン保土ヶ谷展示にて '85

てんてこ舞いの正月、元日は座る暇も無かった、、、体力的に乗り越えられるのか?

いつもなら仕事しながらも余裕でネタ考えてるのに、全く不可とか、久しぶりだと思う。
とりあえず貼って寝ます。。。

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1985.2.24 東海道本線 保土ヶ谷 サイエンストレイン展示会にて

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2014年12月 8日 (月)

【あの一枚】 #179 元祖カートレイン ’85

今日は何気なく開いたハーフサイズネガのアルバムから登場したばかりのカートレインでも。

見るに堪えない画質はご容赦ください。。。これでも大事な思い出なんです。

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1985.8 東海道本線 辻堂-茅ヶ崎 9012レ
オリンパスPEN EE-3 HR100

まだマンションも無く、小高い丘と青々とした木々があるテニスコート前を行く上りカートレイン。
PFの番号がはっきり読めないが、1121と読めるような気がする。
最初期の20系がカマ次に来ないこの編成はカヤ21のテールマークがきちんと掲出されていて好きだ。

6年生になって休テツしている期間のわずかに残した記録の1枚だ。
迎える小僧たちは自分たちのグループじゃないな。。。
ここはもう茅ヶ崎市だし、松浪小のテツグループだろうか。
それにしても空が広い。

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2014年10月 2日 (木)

【特集】 惜別 EF62 #2

【特集】として始めてはみたものの、どんな体裁で何回くらい続けるかなど全くのノープランですが、とりあえず続けてみます。

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 1984年5月からハーフサイズのオリンパスペン・EE3を使って写真を撮るようになり、だいたい1ヶ月に2本程度の12枚撮りフィルム(ハーフだから24枚ちょい撮れる)を消化していた。
なにぶん小学生の身、フィルムの調達から現像プリントまですべてが親父まかせ・・・。

ちょっと遠かったが辻堂駅西口のなじみの写真屋さん「四ツ葉写真店」にツケでDPEしてもらっていた。今だったら親父のツケなのをいいことにバンバンDPEしてもらうところだが、当時は遠慮も入っての2本=約50コマ/月だった感じだろうか。

そんなんだから、ゴハチ以外にも多くの団臨があるし自由に使えるコマなんて無いも同然。
よって電車はもちろん貨物も荷物もほとんど撮ってないという残念な結果になっている。
まあ、画質がアレだから残ってる写真も残念なのばっかりだが。
それでも自分にはこれしか無いわけで、すべてが大切な思い出になっている。

ハーフサイズの最後にもう1枚だけ。。。

Simg5793

1985.6.27 東海道本線 辻堂-藤沢 8105レ
オリンパスペン・EE3 HR200

東京・宮原両区のゴハチが居なくなった’85-3改正以降、中学受験を控えて丸1年のテツ自粛中。
そんな折、久々に81系ミハ座が上京したのでフィルム入れっぱなしのカメラを持ってちょっとだけ撮影に出た。
なんでこんなところで撮ったのか覚えていないが当然カマは下関のロクニ、28号機の牽引だった。
おや? こいつもまだ電暖ジャンパー栓収めが原型だ。

もしかしてこれがミハ座最後の上京だったのではないだろうか?
同編成は翌’86年1月の運用をもって現役を引退し、14系和式「みやび」に道を譲っている。

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中学合格を機に初めての一眼レフを与えられ、やっとまともな写真が撮れる機材が手に入ったわけだが、中学生の哀しさ、まだDPEは親父頼みで、バンバン撮るなんてことは出来なかった・・・撮れる枚数もフルサイズで半分になってしまったわけだし。。。
そんな中、初めて撮ったロクニがコレ。

Scn0005_hr100_02

1986.2.24 東海道本線 辻堂-藤沢 9334レ
AE-1P + 35-70mmF3.5-4.5 1/125 f.5.6 HR100

ひどいアングル、動態ブレで流れる27号機、、、かぶりつきで標準ズームは分が悪い。
一眼レフを手にして3週間弱、夕方の東海道を上る81系シナ座を線路際で待った。

曇り空に合わせてシャッター速度をここまで下げればどうにもならない。
フィルムの初めの方だと撮影してから写真でブレていることが確認できるまで早くても3週間くらいかかる計算だ。
最初の半年はこんな失敗が多くロクイチさえもブレブレ、、、曇りの日が嫌だった。

こちらの81系もあと1ヶ月で新鋭の12系和式「江戸」にバトンタッチして水戸区に移る。

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1986.5.8 東海道貨物線 辻堂-藤沢 荷35レ
AE-1P + 75-200mmF4.5 1/500 f.5.6 HR100

113系の浜松行きと並走して貨物線を下る19号機牽引の荷35レ。
誕生日にかこつけて導入した望遠ズームの記念すべき初ショットだ。

この頃にはもうカメラの扱いにも慣れてフィルム装填ミスは無くなったが、巻き忘れやシャッター速度選択のミスは相変わらずで、上がりを見て泣いたことは数知れない。。。
しかしまぁ、暗いズームに低感度フィルムじゃどうしようもない。
大事なネタの日は晴れてくれるのを祈るしかなかった。

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2014年10月 1日 (水)

【特集】 惜別 EF62 #1

惜別 EF62

Simg4201_2

1997年9月30日

 ついに最期の瞬間が来た・・・。
碓氷峠が在る限り安泰を約束されていた彼等に、その使命を終える日が来たのである。 

 思えば13年前(アルバム製作時の1997年から)、東海道・山陽線の荷物列車全面EG化が実施された’84-2改正で彼らの一部が峠を降り、海岸線を走るようになる。
初めて聞くC-C配置独特のジョイント音、側面にずらりと並んだ大きなエアフィルター、傾斜のついたフロントウインドー・・・。
その全てが強烈に、そして確実に心のフィルムに焼きついた。

 当時、ロクニはゴハチを淘汰していったカマとして悪者扱いされることが多かった。
そんな彼らを記録することは少なく、もっぱら東海道線・東京口に残った3輌のゴハチを追いかけていたことを思い出す。
そして’85年3月12日、ロクイチのお召列車牽引を最後に東京区のゴハチも幕を降ろし、品川・宮原両区に残る81系和式にはEG装置をもつ下関のロクニが充当されることになった。
荷物列車の削減により運用に余裕が出来たためである。
それでも8輌、9輌といった長い編成の荷物列車が東海道を上下しており、その先頭に立つロクニにはゴハチとはまた違う魅力があった。 

 1986年2月、それまでのハーフサイズカメラから念願の一眼レフを手にした筆者はゴハチを撮るかたわら、東海道のロクニも撮影するようになる。
’84年2月ダイヤ改正からの2ヶ月間を目の当たりにしたゴハチファンにとって山から降りてきたロクニは、どうしても受け入れ難い存在であったに違いない。
しかし、本来の役目を捨ててまでゴハチの後を継いでくれた彼らに、最後まで声援を送りたいと思った。

荷物列車の廃止が発表されたのは、そのあとすぐのことだった。

上のイメージ写真は最後の営業列車牽引となった’97年11月9日、EL&SL奥利根号を牽いて上野に着いた43号機が推進回送として尾久に向けて発車するところ。

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1984.11.8 東海道貨物線 辻堂-藤沢 荷35レ
オリンパスペン・EE3 HR100

手元に残るハーフサイズネガの中で一番最初に現れるロクニの荷物列車。
15号機牽引の荷35レだ。もっと前にも撮っているはずだが、ネガが見当たらない。
久しぶりにハーフネガをスキャンしてみたが新しいスキャナとフォトショップでもこの程度が限界、それでもわりと良く撮れている部類に入るだろう。

周囲をよく見ると、この付近にもまだ木製架線柱が残っている。
夏場、撮影のために寄りかかると背中にコールタールがべっとり付いたのを思い出す。
この後、急速にコンクリート柱に植え替えられ、一眼レフを持つ頃には木製架線柱は残っていなかった。

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1985.3.24 東海道貨物線 辻堂 9322レ
オリンパスペン・EE3 HR100

こちらはひどい、、、朝の貨物線を上るヌマ座「いこい」を牽引しているのは17号機。
シャッター速度も選べないこんなカメラでよくもまぁ撮っていたものだ。

17号機は’85年に入っても電暖ジャンパー栓収めが移設改造されていなかったのか。
こんな写真では撮ったうちに入らないが、下関ロクニの改造前の姿は撮影できていないと思っていただけに、ちょっと意外だ。

しかしこんなブレブレ写真ばかり並べてもしょうがないので、次からは初めての一眼レフとなるキヤノンAE-1プログラムを手に入れてからの写真に飛ぼうと思う。

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2012年10月23日 (火)

3周年記念 『冬がはじまるよ。 ~君がいた季節~』 #7

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茶色いミト座登場の前に、ここでもう一度シナ座の時代を振り返ってみたい。
まだシャッター速度も変えられないハーフのオリンパスペンEE-3を振り回していた時代だが、
親父のニコンFで撮ったカットが何枚か残っているので合わせて紹介したい。

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H160841001k9525

160号機に牽かれて伊豆方面に向かうシナ座。
この日は市制記念日で学校が休みだったため、珍しく下りが撮影できた。

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H1608411089744

16:10、日没前の太陽に車体を染めて品川へ急ぐ160号機。
青いゴハチは最後の冬を惜しむかのように連日運用に就き、東海道を駆け抜けた。

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81系牽引のために浜松区から東京区へと転属し、東京区ゴハチ最後の3両として
活躍した160号機。
「ゲロマル」などと言われてクソガマ扱いされた典型的な浜松仕様のゴハチだが、
筆者にとってはロクイチと共に頑張る最後の青ゴハチとして記憶に刻まれている。
そしてこの頃、すでに僚機93号機はひっそりと運用を離脱していたらしい。
ロクイチのSGはすでに機能停止しており、81系の運用はこの160号機が一手に
受け持つことになった。

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S1608412u

珍しくヘッドマークが付けられた「東京駅70周年記念号」にも160号機が
登場している。

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898502ku

左に写る電車は総武快速・横須賀線の113系、ゴハチは89号機、
もちろん後ろはシナ座である。
これは
茶色くなったパックが初めて地元に現れた時のもので、
シナ座の回送が夜の湘南貨物で折り返したのである。

東北線方面から武蔵野線北府中まで客扱い後、新鶴見(信)で
バトンを引き継ぎやって来た。
すでに乗客はいないが、折り返し品川まで車掌が乗務しているため
EGの供給が必要だったようだ。
極めて珍しいパターンで、今なら間違いなくEF81の通し運用になる
ところだろう。

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PHOTO #1 1984.10.1 東海道本線 辻堂-藤沢
#2

1984.11.8

東海道本線 辻堂-藤沢
#3 1984.11.10 東海道本線 辻堂-藤沢
#4 1984.12.21 東海道本線 辻堂-藤沢
#5 1985.2.21 東海道貨物線

湘南貨物

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3周年記念 『冬がはじまるよ。 ~君がいた季節~』 #8 へ続く

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2012年10月18日 (木)

3周年記念 『冬がはじまるよ。 ~君がいた季節~』 #2

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1985(昭和60)年3月改正の荷物列車削減により、下関区のEF62は26輌配置に対して19輌使用(従来は21輌)と余裕ができ、
電気暖房装置(EG)を搭載していることから、品川と宮原に残った81系の牽引を受け持つことになった。
蒸気暖房装置(SG)による81系へのスチーム供給のため残っていた東京区のゴハチ93号機と160号機は廃車。
残るロクイチも東京区の無配置化により書類上新鶴見区に転属となった。
また同じく81系を擁する宮原区では126、127、150号全機が、こちらも無配置化のため吹田区に転属のうえ
検査期限の到達をもって廃車となっている。
ロクイチのSG装置は’84年4月の使用を最後に機能停止しているため、冬期の81系による東海道・山陽線運用には
全面的にEF62が充当されることになった。

さらに、東北線方面に目を移すと、宇都宮区のゴハチ11輌は全機が田端区へ転属となり、前年全検出場した
89号機を除く10輌は検査期限切れを待って順次廃車となることが決定し、団臨等で最後の活躍をすることとなる。
81系へのEG供給も田端区ゴハチの仕業のひとつで、81系の運用に合わせて色々な線区を走行する姿が見られた。
横須賀線でも東京区のゴハチ全廃によって田端区のゴハチが入線しており、最初の入線は’85年4月16-17日の
122号機で、逗子から長野までの81系団臨の品川-逗子-高崎間を担当している。
青いゴハチ最後の横須賀線入線は’86年2月10-11日、品川-横須賀-沼田間を往復した81系運用の全区間を
141号機が担当した。
暖地型の141号機が上越線を走行したことも特筆できるが、11日夕方から関東地方は広い範囲で雪になり、
雪の横須賀線を行くゴハチの姿を見ることができた大変印象深い運用であった。
そしてこの運用がシナ座81系としての最後の横須賀線入線である。

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うっすらと積もった雪とゴハチの室内灯が撮影の気分を盛り上げる。
機廻しを終えて発車を待つ141号機のEG表示灯がひときわ輝く。
客扱い後の回送なのでEG供給を停止しているということだ。

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いきなり1ページ目から小さいサイズで失礼。
こちらは田端区ゴハチ初の横須賀線入線。
逗子で折り返し、回送で品川に向かう122号機牽引のシナ座Eが
夕闇せまる大船5番スカ上り本線にて小休止しているところだ。

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S11168703d

なんということだろうか、線路に雪が残る時期、先頭に立っているのは暖房装置を持たない
PFではないか・・・。
新鶴見-沼津間、暖欠。車内にストーブでも設置してあるのだろうか?

荷物列車のカマ故障で暖房装置を持たない貨物機が充当されたという話はいくつか聞くが、
料金を払って乗っているお客様を運ぶ列車が暖欠というのはなんともひどい話だ。

この頃はまだ、線区ごとの牽引機が指定されており、EF81スルーやEF64の応援など有り得ない。
運用の効率化が進み、線区の指定が解除されるのはまだ先だ。

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PHOTO #1 1986.2.11 横須賀線 横須賀
#2 1985.4.17 横須賀線 大船
#3 1987.3.14 東海道貨物線 辻堂-藤沢

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3周年記念 『冬がはじまるよ。 ~君がいた季節~』 #3 へ続く

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2011年6月28日 (火)

サロンエクスプレス踊り子 ’85

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S618507269023

1985.7.26 東海道本線 辻堂-藤沢 9023レ
NikonF + 105mmF2.5 データ不明 HR100

新調された専用マークを掲げて客線を下るロクイチ。
前年3月から運転が始まったサロン踊り子だが、’85年夏は多くにロクイチが充当された。
サロン踊り子で下って14系の踊り子56号で帰るという、行き帰りのハコが違う面白い運用だ。

夏祭りのこの日、午前中の子供神輿を担ぎ終えてお昼ご飯も食べずに駆けつけた。
お昼休みにはちょうどいい通過時間でありがたいが、撮れたのはこれだけ・・・。
連日、塾の夏期講習へ真面目にかよっていた。
年に一度のお祭りのために休み、昼間はお神輿、夕方からは諏訪神社の奉納太鼓で舞台に立つ。
返しの時間はちょうど自分の町内の出番待ちのためそれどころではなかったし、一番遅いスジなので
走行が取れるほど露出は無い。マークも客車もただの14系踊り子だ。

マークの付け替えはしないため、返しの踊り子56号の東京-品川間回送では「サロン踊り子」の
マークを掲げたロクイチが14系の先頭を飾ることとなる。
これを撮るため、一度でいいから東京バルブに行きたかったがついに叶わなかった。

JR化後も列車の設定が残り’88年まで運転されたサロンエクスプレス踊り子号。
’87年夏には最後のロクイチ充当があり、三つ目のマークとなる「夕日にシルエットの踊り子」が
先頭を飾ったのも懐かしい。

関連するロクイチの動き

1985.7.26 品川-回9023-東京-9023-伊豆急下田-9026-東京-回9026-品川

       全区間マーク掲出(上り方:踊り子、下り方:サロン踊り子)。
       回9023、9023レは南シナ 14系ロ・ロフ7両 サロンエクスプレス東京。 
       9026、回9026レは同 14系ハ・ハフ8両。
       運転日は7/22-26、29-8/2、5-9、12-16。

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2011年5月16日 (月)

サイエンストレイン保土ヶ谷展示 ’85

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1985.2.24 横須賀線 保土ヶ谷
Nikon F + 50mmF2 1/250 f.8 SR100

サイエンストレイン エキスポ号の保土ヶ谷駅展示に同伴したロクイチ。
機回しを終えて会場の10時まで待機となるが、見ての通り山側は面の横に架線柱・・・。
逆光のため時間が経つほど山側からの撮影は厳しくなる。

寝坊で回送の走行と入換えは間に合わず、記録に残せたのはこれだけ。
速攻で塾の日曜テストに行かなければならない。
テストを終えて戻ってきたのは冬の陽が傾いた15時過ぎでどこで撮っても完全に逆光状態。
当時先輩の言葉 「白黒なら逆光でも大丈夫だよ」 を信じてネオパンSSを入れたオリンパスEE-3でパチパチと
撮っておいたが所詮オート絞り、、、ロクイチのライトしか写っていない。
たまに(勝手に)使う親父のNikonFでフィルムの途中入れ替えなんて出来るわけが無い。

全国行脚もあと1ヶ月を切ったサイエンストレインの保土ヶ谷展示は2月22・23・24日の三日間で行われたが、
局報を確認すると22-23日は客車のみ駅留置の滞泊、24日のみEF58-61指定の日帰り運用となっていた。

局報でロクイチ限定を確認したとき、ロクイチはまだ全検とお召に向けた整備のため大宮工場に入場していた。
そして運用指定日を5日後に控えた2月19日、大宮からの配6548レに連結されて品川に戻り調整が始まった。
指定は無いものの22-23日のサイエンストレイン回送にもロクイチが充当されるかと思われたが
余命幾ばくも無い160号機が充当され、宮原区の150号機に続いて青ゴハチの牽引実績をつくっている。
その22・23日、ロクイチは大船試客の試6961-試6962レに充当され品川-小田原間を往復し
全検直後の美しい姿を披露していた。

その後3回の全検を受けているが、この時の美しさは忘れられない。
ボディこそ完全修繕ではなかったが後の塗装では再現されない見事な深紅色であった。

ko-nomoさんのブログ 『やっぱりテツでした』で午後の様子が紹介されている。
どうしようもない逆光だったが、やはり一眼レフでの撮影は露出の加減がいい具合に調整
出来ていて、雰囲気が伝わってくる。

Click! ⇒ サイエンストレイン保土ヶ谷展示 <http://blogs.yahoo.co.jp/nh5861/archive/2010/2/9>

関連するロクイチの動き

1984.2.24 品川-回9841-保土ヶ谷-9844-品川

       保土ヶ谷到着後機回しして展示(10~16時)。
       客車は天リウ 12系7両 「サイエンストイレイン エキスポ号」。

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