1984年

2015年9月10日 (木)

【あの一枚】 #255 テツ人生最初期のネガから 「くつろぎ」

何か記事になるネタが無いかと漁っていたハーフサイズネガから、ゴハチを意識して撮り始める前の
遊びで撮ったネガが見つかりました。
後の通番を付けてのファイリングから外れた、自分的に”神話時代”のネガです。

ゴハチを撮るのにオリンパス・ペンEE-3を与えられる以前、祖父の箪笥に中に小さいカメラがあるのを
見つけてフィルムを詰めてもらい、遊びで何でも撮っていました。
そのカメラの機種などまったく判らなかったのですが、「ハーフ カメラ」に今でも忘れない「自動巻き上げ」を
加えて画像検索したら一発でヒットしました(笑)
それはリコーの「オートハーフ」(最初期)というカメラだったようです。

これまた走る列車を撮るなど不可能に近いカメラですが、奇跡的に上手く撮れているカットがありました。

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Simg7324

1984.2? 東海道本線 辻堂-藤沢 8102レ
リコーオートハーフ (25mmF2.8 1/30? f.?)

見事にテールマークに同調した流し撮り。奇跡といってもいいだろう。
ほかのコマでも被写体ブレも含めたブレがひどいのでスペックにある1/125固定・自動絞りではなく、
1/30固定の手動絞りモードになっているように思うが、その切り替えがどのようになっていたのかなど
まったく判らずにただただシャッターを押していた。
それにハーフサイズなので、普通に構えると縦の構図になってしまう。

前後のコマでは道床に残雪が見え、この「くつろぎ」を牽いているのがPFなので59-2改正後の
早い時期ではないかと予想する。
また、後コマの荷36レと思われる列車に逆光ながら91号機と思われるゴハチが先頭に立っている姿が
写っているからだ。

この「くつろぎ」のスジはもちろん8102レで間違いないだろう。
荷35レのカマ番号でも判別できれば改正前後の絞り込みに有力な情報になるのだが。

ちょっと待った! その後のコマにも2灯シールドビーム機のゴハチが牽く荷36レらしき列車があるのだが
背景のニチイ辻堂店が開店していない。。。
ニチイの開店は1983年5月17日?(※)、くつろぎは1983年6月落成、雪が降るのは冬。。。
そうするとやはり1984年新春で間違いないのだが、なぜニチイの入り口に工事用フェンスが
張られているのだろう・・・今頃になって疑問が湧いてきた。困ったもんだ。

Simg7326

(※)よくよく調べるとニチイ辻堂店の開業は1984年9月19日となっているようで、1983年5月17日は
工事の着工日のようです。それならば辻褄が合います。
しかしどうでもいいですが、開業半年以上前にこんなに完成してましたかね・・・。
毎日見ていましたけど、それがいつなのか、この時代に日記など書いてなくまったくリンクしません。
やっぱり日記を付けるという事は大事ですね。

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2014年10月 1日 (水)

【特集】 惜別 EF62 #1

惜別 EF62

Simg4201_2

1997年9月30日

 ついに最期の瞬間が来た・・・。
碓氷峠が在る限り安泰を約束されていた彼等に、その使命を終える日が来たのである。 

 思えば13年前(アルバム製作時の1997年から)、東海道・山陽線の荷物列車全面EG化が実施された’84-2改正で彼らの一部が峠を降り、海岸線を走るようになる。
初めて聞くC-C配置独特のジョイント音、側面にずらりと並んだ大きなエアフィルター、傾斜のついたフロントウインドー・・・。
その全てが強烈に、そして確実に心のフィルムに焼きついた。

 当時、ロクニはゴハチを淘汰していったカマとして悪者扱いされることが多かった。
そんな彼らを記録することは少なく、もっぱら東海道線・東京口に残った3輌のゴハチを追いかけていたことを思い出す。
そして’85年3月12日、ロクイチのお召列車牽引を最後に東京区のゴハチも幕を降ろし、品川・宮原両区に残る81系和式にはEG装置をもつ下関のロクニが充当されることになった。
荷物列車の削減により運用に余裕が出来たためである。
それでも8輌、9輌といった長い編成の荷物列車が東海道を上下しており、その先頭に立つロクニにはゴハチとはまた違う魅力があった。 

 1986年2月、それまでのハーフサイズカメラから念願の一眼レフを手にした筆者はゴハチを撮るかたわら、東海道のロクニも撮影するようになる。
’84年2月ダイヤ改正からの2ヶ月間を目の当たりにしたゴハチファンにとって山から降りてきたロクニは、どうしても受け入れ難い存在であったに違いない。
しかし、本来の役目を捨ててまでゴハチの後を継いでくれた彼らに、最後まで声援を送りたいと思った。

荷物列車の廃止が発表されたのは、そのあとすぐのことだった。

上のイメージ写真は最後の営業列車牽引となった’97年11月9日、EL&SL奥利根号を牽いて上野に着いた43号機が推進回送として尾久に向けて発車するところ。

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Simg57831_2

1984.11.8 東海道貨物線 辻堂-藤沢 荷35レ
オリンパスペン・EE3 HR100

手元に残るハーフサイズネガの中で一番最初に現れるロクニの荷物列車。
15号機牽引の荷35レだ。もっと前にも撮っているはずだが、ネガが見当たらない。
久しぶりにハーフネガをスキャンしてみたが新しいスキャナとフォトショップでもこの程度が限界、それでもわりと良く撮れている部類に入るだろう。

周囲をよく見ると、この付近にもまだ木製架線柱が残っている。
夏場、撮影のために寄りかかると背中にコールタールがべっとり付いたのを思い出す。
この後、急速にコンクリート柱に植え替えられ、一眼レフを持つ頃には木製架線柱は残っていなかった。

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Simg57881

1985.3.24 東海道貨物線 辻堂 9322レ
オリンパスペン・EE3 HR100

こちらはひどい、、、朝の貨物線を上るヌマ座「いこい」を牽引しているのは17号機。
シャッター速度も選べないこんなカメラでよくもまぁ撮っていたものだ。

17号機は’85年に入っても電暖ジャンパー栓収めが移設改造されていなかったのか。
こんな写真では撮ったうちに入らないが、下関ロクニの改造前の姿は撮影できていないと思っていただけに、ちょっと意外だ。

しかしこんなブレブレ写真ばかり並べてもしょうがないので、次からは初めての一眼レフとなるキヤノンAE-1プログラムを手に入れてからの写真に飛ぼうと思う。

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2014年2月15日 (土)

【あの一枚】 #029 モーターカー工臨

また雪で帰れなくなったので、何の脈略も無いずいぶん前に下書きしておいた記事を使います。
早番で帰るつもりでいたのですが、国道まで出たらずーーーーっと繋がってましたよ(泣)
前回、事故の影響で1時間の距離を帰るのに6時間かかったとか話を聞くとヤバいでしょう。
わき道を使って行けばいいのでしょうが、神経すり減らしていつ着くか判らない道のりを帰るのは
得策ではないと判断しました。

さて、記事に戻りましょう。
30年のテツ人生の中で唯一、モーターカーが貨車を牽いて真っ昼間の本線を行く姿を捉えた
貴重な一枚なんですがカメラに難アリ(腕の問題は棚上げ中)のため、シャープさに欠ける
もったいない写真になっております。

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Shf01_hr100_10ab

1984.8 東海道貨物線 辻堂-藤沢
オリンパス ペンEE-3 HR100

よく辻堂駅貨物側線に留置されていた大船保線区のTMC200軌道モーターカーが牽くチキ5200の2連。
ナショナルの前であさかぜ52号を撮った帰りに踏み切り待ちしていたら現れたのがこれだった。
どこから来たのだろう? とうの昔に藤沢の貨物側線は無いから湘南貨物??
で、どこへ行くのだろう? まぁ、辻堂の側線だろうな。

踏み切り前では「プワ~ン」と警笛を鳴らしていたような気がする。
このタイプの車両は車軸が絶縁されていて、信号や踏み切りの検知に掛からないと思うのだが
しっかりと遮断機が降りて警報機が鳴っていた。
あ、、、通常車軸のチキがつながってるからこれで検知されるわけだ、、、。

30km/hくらいで走っていたのでチャリで追いかければ入換も見られたかもしれないのに行っていない。
もうちょっと色々興味を持って撮っておけばよかった。

今回、初めてハーフネガの画像を通常と同じサイズにしてみたがやはり粗くてダメだ。

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2012年10月23日 (火)

3周年記念 『冬がはじまるよ。 ~君がいた季節~』 #7

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茶色いミト座登場の前に、ここでもう一度シナ座の時代を振り返ってみたい。
まだシャッター速度も変えられないハーフのオリンパスペンEE-3を振り回していた時代だが、
親父のニコンFで撮ったカットが何枚か残っているので合わせて紹介したい。

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H160841001k9525

160号機に牽かれて伊豆方面に向かうシナ座。
この日は市制記念日で学校が休みだったため、珍しく下りが撮影できた。

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H1608411089744

16:10、日没前の太陽に車体を染めて品川へ急ぐ160号機。
青いゴハチは最後の冬を惜しむかのように連日運用に就き、東海道を駆け抜けた。

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81系牽引のために浜松区から東京区へと転属し、東京区ゴハチ最後の3両として
活躍した160号機。
「ゲロマル」などと言われてクソガマ扱いされた典型的な浜松仕様のゴハチだが、
筆者にとってはロクイチと共に頑張る最後の青ゴハチとして記憶に刻まれている。
そしてこの頃、すでに僚機93号機はひっそりと運用を離脱していたらしい。
ロクイチのSGはすでに機能停止しており、81系の運用はこの160号機が一手に
受け持つことになった。

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S1608412u

珍しくヘッドマークが付けられた「東京駅70周年記念号」にも160号機が
登場している。

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898502ku

左に写る電車は総武快速・横須賀線の113系、ゴハチは89号機、
もちろん後ろはシナ座である。
これは
茶色くなったパックが初めて地元に現れた時のもので、
シナ座の回送が夜の湘南貨物で折り返したのである。

東北線方面から武蔵野線北府中まで客扱い後、新鶴見(信)で
バトンを引き継ぎやって来た。
すでに乗客はいないが、折り返し品川まで車掌が乗務しているため
EGの供給が必要だったようだ。
極めて珍しいパターンで、今なら間違いなくEF81の通し運用になる
ところだろう。

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PHOTO #1 1984.10.1 東海道本線 辻堂-藤沢
#2

1984.11.8

東海道本線 辻堂-藤沢
#3 1984.11.10 東海道本線 辻堂-藤沢
#4 1984.12.21 東海道本線 辻堂-藤沢
#5 1985.2.21 東海道貨物線

湘南貨物

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3周年記念 『冬がはじまるよ。 ~君がいた季節~』 #8 へ続く

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2010年2月10日 (水)

東京機関区 最後の冬に

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61841201s69611

1984.12.1 東海道本線 辻堂-藤沢 試6961レ
オリンパスペン EE-3 オート HR200

大船工場出場のハネフ1両をマニ36で挟んで客線を下るロクイチ牽引の試6961レ。
まだ9月のフルムーンお召での連結器への銀差しが残っている。

久しぶりにハーフサイズで撮ったネガをスキャンしてみた。
以前よりもスキャナの性能が上がっているものの、カメラの性能とネガの状態からこの程度が限界か。

東京機関区最後の冬が始まった10月から、残された3両のゴハチが試客にも充当されるようになった。
最初はなかなかロクイチが充当されずどうしたものかと残念だったが、93号機が戦線離脱した11月以降
160号機との2台体制になったことでコンスタントに登板している。

季節列車設定ながらほぼ毎日運転されているため、シナ座81系の運用がある日はゴハチの予備車は無し。
3月の下田お召を控えて綱渡りのような運用をこなしていたということだ。
中には、朝14系を牽引し昼から試客という運用をハシゴする日もあった。

関連するロクイチの運用

1984.12.1 品川-試6961-小田原-試6962-品川

       試6961レは品川-戸塚間客線、戸塚-大船間横須賀線、大船-小田原間客線経由。
       大船にて、ホーム~南部富士見町間入換運転あり。
       試6962レは貨物線経由。

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